烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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小松宮彰仁親王銅像

 上野公園に幕末から明治時代にかけて活躍した皇族・小松宮彰仁親王の銅像があります。
 小松宮彰仁親王は、伏見宮邦家親王第8皇子として弘化3年(1846)に生まれ、安政5年(1858)には、仁孝天皇の猶子となり、親王宣下を受け純仁親王と号します。
 その後、仁和寺第三十世の門跡に就任しますが、慶応3年(1867)には還俗し、仁和寺宮嘉彰親王と名乗っています。
 明治維新では、議定、軍事総裁に任じられ、戊辰戦争で、奥羽征討総督として官軍の指揮を執った親王は、明治7年(1874)の「佐賀の乱」では征討総督、明治10年(1877)の西南戦争にも旅団長として出征し乱の鎮定に当たり、それらの功労により家格が世襲親王家に改められ、「小松宮」を名乗るようになります。
 親王は、西欧の王室にならい、皇族が率先して軍務につくことを奨励し、自らも明治23年(1890)に陸軍大将に昇進すると、その後、近衛師団長、参謀総長を歴任、日清戦争では征清大総督として旅順に出征します。そして、明治31年(1898)には元帥府に列せられています。
 また、国際親善にも力を入れ、イギリス、フランス、ドイツ、ロシア等ヨーロッパ各国を歴訪、明治35年(1902)には、イギリス国王エドワード7世の戴冠式に明治天皇の名代として出席しています。
 一方、社会事業への貢献にも力を入れていた親王は、日本赤十字社の総裁を務める等、現在の皇族の公務の基礎を造ることにも貢献しています。

小松宮彰仁親王銅像

東京都台東区上野公園8 上野動物園入口近く
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| 明治・大正時代 | 08:03 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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