烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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国木田独歩の墓

 1871年に千葉県銚子に生まれた、小説家であり詩人の国木田独歩は、司法省の役人であった父の転勤で山口、萩、広島、岩国などで暮らしています。
 東京専門学校在学中に学生運動に関わり徳富蘇峰と出合った独歩は大きな影響を受け、大学中退後に徳富蘇峰が設立した「国民新聞」の記者となると、日清戦争の従軍記者として活躍。ジャーナリストとして知られる一方、「独歩吟」、次いで短編小説集「武蔵野」(1901)を刊行し自然主義の先駆として活躍します。
 私生活では独歩は二度結婚をしています。最初の妻・信子は親の反対を押し切り勘当されてまで独歩と結婚しますが、売れる前の独歩の生活は困窮を極めたために失踪し協議離婚しています。小説家・有島武郎はこの出来事を聞き、小説「或る女」を発表しています。
 二人目の妻は、独歩の下宿先の娘で、独歩の没後、「国木田治子」の名前で小説家として活躍しています。
 ようやく作品が評価され始めた1907年に独歩は肺結核にかかり療養生活を余儀なくされ、1908年に36歳の若さで亡くなりました。
青山霊園の墓石には「独歩 国木田哲夫之墓」と刻まれています。

国木田独歩の墓

青山霊園 1種ロ16号16側
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| 明治・大正時代 | 07:00 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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