烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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西郷隆盛の家族

 青山霊園には幕末三傑の一人・西郷隆盛の三番目の妻・西郷イト(糸子)妻や息子たちの墓があります。
 西郷は生涯三度結婚していますが、最初の妻は西郷が頭角を現す前に結婚していますが下級武士であった西郷の生活が困窮していたため、見かねた実家が連れ戻し離婚しています。
 二人目の妻・愛加那は失脚した西郷が奄美大島に流された際に娶った島妻で、菊次郎、菊草(菊子)の二人の子供をもうけています。しかし、島妻は島を出る事をゆるされなかったため、西郷の復権と共に別れています。
 三人目の西郷イトは家老座書役・岩山八太郎直温の二女で、西郷が第一次長州征伐の終了後の慶応元年(1865)に鹿児島へ帰ってきた際に周囲の勧めもあり結婚しました。イトとの間には寅太郎、午次郎、酉三をもうけています。
 国事に奔走する西郷は殆ど鹿児島へ帰ってこなかったため、隆盛の兄弟も同居する西郷家はイトが護っていました。また、隆盛と愛加那の間に出来た菊次郎、菊草(菊子)もイトが引き取り、実子と分け隔てなく養育したそうです。
 西南戦争により西郷隆盛が逆賊となるとイトら家族は故郷鹿児島で密かに暮らしていましたが、勝海舟らの働きかけや、明治天皇の強い意向で明治憲法制定時の大赦で名誉が回復されます。そして江戸城無血開城に導き、江戸の町を戦火から救った西郷を顕彰するために、明治31年(1898)に西郷隆盛像が上野恩賜公園に建立されます。
 この時、除幕式に参加したイトは、着流し姿で犬を連れた西郷像を見て「うちの主人はこんなお人じゃなかった」「浴衣姿で散歩なんてしなかった。」と憤慨し、同席した隆盛の弟・西郷従道にたしなめられたといいます。ただ、上野の西郷像が着流し姿となったのは、逆賊であった西郷の像を軍服姿で造ることに反対する勢力があった事と、反政府勢力のシンボルとなるのを避けるためであったと言われています。
 西郷イトは大正11年(1922)に79歳でその生涯を閉じています。
 西郷イトの墓の隣りには隆盛とイトの息子・西郷寅太郎の墓があります。兄で京都市長等を歴任した菊次郎は奄美大島の島妻・愛加那の子で庶子とされたため寅太郎が西郷家の嫡男となります。
 逆賊の家族として鹿児島で密かに暮らしていた寅太郎ですが、勝海舟等の働き掛けにより、明治17年(1884)にポツダム陸軍士官学校留学を命ぜられドイツで暮らし、その間プロイセン陸軍少尉となります。
 帰国後、明治25年(1892)に陸軍少尉、28年には中佐に任じられ日清戦争などで活躍。明治35年(1902)には父隆盛の功績により侯爵となり、貴族院議員にも就任しています。
 その後、習志野俘虜収容所長などを歴任した寅太郎は大正8年(1919)にスペイン風邪による肺炎が元で54歳で亡くなっています。
 この他、青山霊園の西郷家の墓所には、寅太郎の息子の隆輝や隆盛の三男、酉三の名を見つける事が出来ました。

西郷家の墓

青山霊園 1種イ11号21側3番
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