烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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東芝創業者「からくり儀右衛門」こと田中久重

 今週、大手電機メーカー「東芝」は、組織的に利益を水増ししていた不正会計問題の責任をとり田中久雄社長、佐々木則夫副会長、西田厚聡(あつとし)相談役の歴代3社長が辞任するという激震に見舞われましたが、今回の騒動を創業者は、どう思っているのでしょうか。
 東芝の創業者は江戸時代後期から明治にかけて活躍した発明家・田中久重です。寛政11年(1799年)に、筑後国久留米(現・福岡県久留米市)の鼈甲細工師・田中弥右衛門の長男として生まれ、幼名を儀右衛門といった田中は、幼い頃から才能を発揮し、当時流行していた「からくり人形」の新しい仕掛けを次々と考案し評判となります。特に「弓曳き童子」と「文字書き人形」は有名で、これらは、からくり人形の最高傑作といわれています。
 天保5年(1834)には上方へ上り、折りたたみ式の「懐中燭台」、圧縮空気により灯油を補給する灯明の「無尽灯」などを次々発明、「からくり儀右衛門」と呼ばれ全国的に名を知られます。
 嘉永6年(1853)に鍋島直正が治める肥前国佐賀藩の精煉方に着任した田中は、反射炉の設計と大砲製造に貢献、また、国産初の蒸気船の建造にも関わっています。
 明治6年(1873)に、東京へ移ると、明治8年(1875)、75歳の時に京橋区南金六町(現在の銀座8丁目)で電信機関係の製作所・田中製造所を設立。店の傍らには「万般の機械考案の依頼に応ず」という看板が掲げられていたといいます。田中は明治14年(1881)に82歳で亡くなっています。
 「田中製造所」は、その後、久重の養子、田中大吉(2代目久重)が引き継ぎ芝浦に移転、「株式会社芝浦製作所」となります。後に「東京電気株式会社」と合併、「東京芝浦電気株式会社」となり、これが現在の東芝となります。なお、田中久重の墓は青山霊園にあります。
 ちなみに、今回の騒動で辞任した田中久雄社長は、名前からして創業者一族かと思いましたが、全く血縁関係は無いそうです。

田中久重の墓
田中久重の墓

墓の脇にある碑
墓の脇にある碑

青山霊園1種ロ12号30側13
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