烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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最初の埼玉県庁があった芳林寺

 さいたま市岩槻区の芳林寺境内には、色々な銅像や碑が建立されていました。
 芳林寺の像といえば、入口にある騎馬武者姿の太田道灌像が有名ですが、境内には鷹狩姿の道灌像もあります。
 この他、境内に墓のある、太田氏資、氏資の母親で芳林寺開山の芳林妙春禅尼の像もありました。

太田道灌像
太田道灌像

太田氏資像
太田氏資像

芳林妙春禅尼像
芳林妙春禅尼像

 境内に、芳林寺にかつて埼玉県庁が設置されていた事を示す碑が建立されていました。
 碑文によると、明治4年に埼玉県が誕生した際、芳林寺境内に仮庁舎が置かれたそうですが、間もなく県庁は浦和へ移転してしまったそうです。
 その、理由というのが、江戸時代、家老格の家柄であり武勇に優れながら、役人としての能力には劣り、県庁に採用されなかった人物が、根に持って毎日のように県庁へやってきては、嫌味を言ったりして騒いでいたそうです。そのため、こんなうるさいところに県庁を置かなくても良いという話になり浦和への移転が決まったとの事です。その男さえいなかったら岩槻のその後は全く違うものになっていたかもしれません。

埼玉県庁設置の碑
埼玉県庁設置の碑

埼玉県さいたま市岩槻区本町1丁目7−10
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| 明治・大正時代 | 07:00 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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