烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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芳林寺の墓

 太田道灌の墓がある、さいたま市岩槻区にある芳林寺には、太田家以外にも著名な人物の墓があります。
 高力正長は徳川家康の重臣で武蔵国岩槻藩主の高力清長の長男、正室は本多忠俊の娘です。
 正長は父清長と同じく徳川家康に仕え、三方ヶ原の戦い・長篠の戦い・小牧・長久手の戦いなどで活躍。 天正15年(1587)に大番頭に就任。慶長4年(1599)には従五位下土佐守に叙任しますが、同年父に先立って早世しています。

高力正長の墓
高力正長の墓

 田中保画伯は岩槻出身で、海外で活躍したエコール・ド・パリの画家です。パリの画壇でサロンを中心に、豊満で官能的な裸婦像を発表、「裸婦のタナカ」として賞賛を浴びています。日本に一度も帰国することなく第二次世界大戦中にパリで亡くなりますが、近年、その業績が見直され、評価と関心が高まってきています。

田中保 画伯の墓
田中保 画伯の墓

現地説明板
現地説明板

埼玉県さいたま市岩槻区本町1丁目7−10
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