烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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太田道灌が葬られた芳林寺

 岩槻城は、室町時代に古河公方足利成氏の執事扇谷(上杉家)持朝の命を受け、太田道真・道灌父子が築城したと伝えられています。
 名将・太田道灌は、自分にとって代わられるのを恐れた主君・上杉定正により文明18年(1486)に神奈川県伊勢原にあった定正の館で暗殺されてしまいます。この時、父の道真と道灌の養子・太田資家(岩槻城主)が伊勢原に赴き、遺骨や遺髪をもらい受けてきたと言われています。
 そして、それらは埼玉県越生町の龍穏寺と芳林寺に分けられて埋葬され、今日まで供養されています。
 岩槻の芳林寺は太田三楽斎資正が、東松山城(埼玉県東松山市)の城代難波正直の娘婿として活躍していた頃に、同地ゆかりの地蔵堂を岩槻に移したと伝えられ、資正の嫡男・太田氏資の時代に地蔵堂から 「芳林寺」へと改称、母・芳林妙春尼や多くの合戦で亡くなった将兵が供養されています。
 なお、芳林寺は現在、東日本大震災による本堂復興工事中です。

芳林寺入口
芳林寺入口

山門
山門

太田道灌像
太田道灌像

岩槻城復元図
岩槻城復元図

埼玉県さいたま市岩槻区本町1丁目7−10
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