烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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龍門寺の墓

 岩槻区日之出町にある龍門寺には、徳川家重の御側用人だった大岡忠光の墓があることで有名ですが、その他にも歴史に名を残した人物の墓があります。
 岩槻区日之出町にある龍門寺は、近江源氏佐々木氏の後裔・佐枝若狭守秀成の開基で、その館跡に建てられた寺院です。
 山門をくぐり見える鐘楼の後ろには、館跡の土塁が残されています。
 戦国時代、北条氏康に仕えた佐枝秀成は岩槻城主であった大田氏が北条氏と和睦し傘下に入ると、その監視役の城代として岩槻に派遣され、ここに屋敷を構えたそうです。
 その後、出家して玉峰道金上座と名乗り龍門寺の開基となっています。
 佐枝氏は、その後、徳川家康に仕え、江戸時代には御三家のひとつ尾張藩の直臣として尾張へ移住しています。龍門寺にある佐枝秀成の墓は文政13年(1830)に尾張藩家老の佐枝嘉種により建立されたものだそうです。

鐘楼
鐘楼

開期霊屋
開期霊屋

佐枝若狭守秀成の墓
佐枝若狭守秀成の墓

 龍門寺の墓所には自由民権運動家・後藤富哉の墓もあります。後藤は岩槻藩士の家で生まれ、明治という激動の中、学業に力を入れて、埼玉師範学校(現埼玉大学の前身)、熊谷伝習校で学び、その後、岩槻に戻り平林寺小学校(河合小学校の全身)で7年間勤めます。
 その後、全国的に国会の開設や憲法制定などを求める「自由民権運動」が高まりを見せると、後藤はその中に身を投じていきます。
 「激化事件」にも参加していた後藤は急進的な自由党員が、警察分署や高利貸を襲った「加波山事件」でも関連を疑われ、警察の追求を受けています。
 明治18年(1885)、26歳の時、土呂小学校(大砂土小学校の全身)の校長として教職に復帰しますが、その後も自由党の集会に出席したり、選挙応援演説を行うなど、国家主義的教育を教えていた現場教師としては珍しい存在でした。

後藤富哉の墓
後藤富哉の墓

さいたま市岩槻区日の出町9-67
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