烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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岩槻城址公園の遺構

 岩槻城址公園には、岩槻城の遺構などが数多く残されています。

 岩槻城城門は、かつて岩槻城にあった城門と伝えられていますが、城内のどこにあったかは分かっていません。
 木材が黒く塗られていた事から、「黒門」と呼ばれていたそうで、廃藩置県により岩槻城が廃城となると、浦和の埼玉県庁や知事公舎の正門、岩槻市役所の通用門などに移築を繰り返し、昭和45年に現在地に設置されています。
 移築を繰り返し、修理の跡が多く見られますが、貴重な現存する岩槻城の遺構として•市指定有形文化財となっています。

岩槻城城門
岩槻城城門

 岩槻城城門の近くには、かつての岩槻城の裏門と伝えられる城門も移築されています。薬医門形式の城門で、江戸時代の明和7年(1770)に当時の岩槻城主大岡氏が建立し、文政6年(1823)に補修を行ったことが、ほぞの墨書銘でわかっています。
 岩槻城廃城後、個人に払い下げられていましたが、昭和55年に市に寄贈され、現在地に移築されたそうです。城門と同様に市指定有形文化財となっています。

岩槻城裏門
岩槻城裏門

 岩槻城裏門の近くにある人形塚は、昭和46年、岩槻人形連合協会が建立したもので、この塚の前で毎年秋に人形供養と人形に携わった人々の法要が行われています。
 岩槻人形の始まりは江戸時代初期のことで、寛永年間(1634~1647年)に日光東照宮の造営にあたり三代将軍徳川家光が全国から優れた工匠を集めますが、その一部は、日光御成街道の江戸から最初の宿場町である岩槻に住みつきます。その人々が付近に数多く植えられていた桐を使って箪笥をを作ったり、人形づくりを行い技術を広めていったといわれています。
 人形塚は、男雛と女雛が仲睦まじく寄り添い「人」という字を現していて、世界平和と岩槻の発展を願ったものだそうです。

人形塚

埼玉県さいたま市 岩槻区太田3-4
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