烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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与謝野鉄幹、晶子夫妻の墓

与謝野鉄幹、晶子夫妻の墓

 多磨霊園にある与謝野鉄幹、晶子夫妻の墓にお参りしてきました。
 与謝野鉄幹(本名寛)は明治6年(1873)、西本願寺支院、願成寺の僧侶、礼厳の四男として京都市岡崎に生まれます。明治27年(1894)に短歌の革新を唱え、短歌論「亡国の音」を発表。明治32年(1899)には「新詩社」を設立し、機関誌「明星」を創刊し、日本浪漫主義運動のリーダーとして北坂白秋や石川啄木などの逸材を世に送り出します。
 与謝野晶子は、明治11年(1878)、堺市の老舗和菓子屋「駿河屋」の三女として生まれ、明治33年(1900)の「明星」創刊とともに新詩社同人となり、翌年に上京します。鉄幹とは不倫関係で二人は誹謗中傷を受けますが、晶子の類まれな才能を見ぬいた鉄幹は処女歌集「みだれ髪」をプロデュースし、歌壇に一大センセーションを起こします。また、日露戦争で戦地へ赴く弟を想いうたった「君死にたまふことなかれ」なども有名です。
 やがて結婚した二人は六男六女をもうけ、孫の中には内閣官房長官や財務大臣などを歴任した政治家、与謝野馨がいます。政策通で総理候補にもなった馨氏でしたが、2012年に咽頭がんにより声を失い政界を引退しています。また、馨氏は政界きっての囲碁の強豪として知られ、私も何度かその御姿を見かけたことがあります。

多磨霊園 11-1-10-14

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| 明治・大正時代 | 07:08 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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