烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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第26代内閣総理大臣 田中義一

 長州藩出身の田中義一は、明治25年(1892)に陸軍大学校卒業後、日清戦争に従軍。明治31年にロシア留学し、ロシア通として日露戦争では満洲軍参謀として活躍します。
 明治42年に陸軍省軍事課長に就任し、帝国在郷軍人会を創設。軍務局長や参謀次長を歴任し、大正7年(1918)に原敬内閣において陸軍大臣に就任し、大正10年(1921)には陸軍大将にも就任した田中ですが、狭心症により一時静養、その後復帰し大正12年(1923)の第2次山本権兵衛内閣で再び陸軍大臣に就任しています。
 将来は元帥就任も視野に入っていましたが、陸軍を退役し政治家へ転身。立憲政友会総裁、貴族院勅選議員を務め、昭和2年(1927)に昭和金融恐慌により退陣した第1次若槻内閣の跡を継ぎ、第26代内閣総理大臣に就任しました。
 田中内閣は元総理の高橋是清や後に総理や枢密院議長などを務める大物政治家が入閣した重厚な内閣で、田中は外務大臣を兼任し、対中強硬外交を展開しますが、関東軍による奉天軍閥の指導者張作霖の暗殺事件「奉天事件」で軍部に妥協した事から昭和天皇の不興を買い内閣は総辞職します。
 狭心症で倒れた事のある田中は、天皇の叱責が相当ショックだったのか辞職から3ヵ月もたたない昭和4年(1929)に急性の狭心症で急死します。田中の死により幕末より続いた長州閥は途絶えることになりますが、昭和天皇は、自らの叱責が田中を死に追いやったかも知れないという思いから、以後は政府に不満があっても一切口を挟まなくなったといいます。

田中義一の墓

多磨霊園 6-1-16-14
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