烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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昭和時代前期の大蔵大臣 馬場鍈一

 多磨霊園内を歩いていると、一つの胸像に目がとまりました。「馬場鍈一」(ばば えいいち)という方の像だそうですが、名前に心当たりがありません。ただ、像のすぐ近くに立派な墓石もあったので撮影し、後日調べてみたところ、昭和時代前期に大蔵大臣として活躍した政治家であることが分かりました。
 馬場鍈一は旧幕臣・山本時光の長男として明治12年(1879)に生まれますが生家は貧しく、後に鉄道技師・馬場兼の婿養子となります。
 明治36年(1903)に東大法科大政治科を卒業後、高等文官試験を首席で合格し大蔵省に入省した馬場は、横浜税関監視部長、韓国統監府総務部経理課長を歴任した後、明治40年(1907)に法制局に転じると、大正11年(1922)の高橋内閣において法制局長官を務めています。同年貴族院勅選議員に勅任され、政友会入りする一方、昭和2年(1927)には日本勧業銀行総裁に就任、昭和11年(1936年)まで務めています。
 昭和11年(1936)に広田内閣が発足すると馬場は大蔵大臣として入閣。前任の高橋是清が公債発行を抑制していたのに対し、馬場は国防の充実と地方振興のため増税と公債増発を積極的に展開します。そのため、軍用資材の輸入が殺到して円が下落、輸入物資の高騰を招く結果となりました。
 昭和17年(1937年)に第一次近衛内閣が発足すると、馬場は軍部の強い意向により副総理格として内務大臣に就任します。当初、大蔵大臣としての入閣が検討されていましたが、一部財界に馬場への不信が根強くあったために内務大臣への起用となったそうです。
 しかし、入閣から後半年後に馬場は病気により辞任、辞任から1週間後に心筋梗塞により急死しています。満58歳でした。

馬場鍈一像
馬場鍈一像

馬場鍈一の墓
馬場鍈一の墓

多磨霊園 10-1-7-12
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