烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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丹波哲郎

 テレビや映画で活躍した俳優・丹波哲郎の墓が多磨霊園にありました。丹波哲郎(本名:丹波正三郎)は、1922年に東京府豊多摩郡大久保町(現:東京都新宿区)で丹波家の三男として生まれます。丹波家は先祖に平安時代の医学書『医心方』を著した丹波康頼がいる名門で大変な資産家だったそうです。
 大学卒業後、俳優を志して新東宝に入社、1952年にセミドキュメンタリー映画『殺人容疑者』で準主演の役でデビューします。しかし、社長との対立で1960年にフリーとなり、テレビドラマや、他の映画会社の作品に出演して活躍します。
 1968年からTBS系土曜21:00に放映されたテレビドラマ『キイハンター』は最盛期に視聴率30%を越える人気ドラマとなり5年間放送。同時間帯では後に『Gメン'75』が7年間放送され、彼の代表作となります。
 丹波の乗った車が交通違反で停められた際、警察官に「Gメンの丹波だが」と対応し、叱られたというエピソードが残されています。
 また、丹波は台本を読まないことで知られ、自分の役柄などを理解しないまま撮影入りする事も多く、ある映画の撮影中に「ところで俺は何でここにいるんだ?」と共演者に尋ね驚かせた事もあったそうです。
 俳優養成所「丹波道場」を設立して後進の育成を手がける一方、心霊研究家としても活躍。多数の書籍を著し、『丹波哲郎の大霊界』はベストセラーとなり映画化もされています。
 平成18年(2006)に肺炎のため84歳で亡くなった丹波の葬儀には、千葉真一を始め多くの共演した俳優が参列。棺には『キイハンター』や『Gメン'75』で使用し彼のトレードマークであった黒のショートハットが納められ、ドラマのテーマ曲で見送られています。
 多磨霊園の丹波の墓は、墓石の右下に丹波とだけ刻まれたシャレたデザインとなっています(写真では花の隠れて分かりにくいですが)。裏面に本名の「丹波正三郎」の名が刻まれています。なお、同じ墓で眠る正妻の貞子は二・二六事件の指導者・北一輝のいとこの娘だそうです。

丹波哲郎の墓
丹波哲郎の墓

丹波哲郎の墓
丹波哲郎の墓

多磨霊園 9-1-13
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