烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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金持景藤の墓

 金運にご利益があるとして多くの人々が参拝している鳥取県日野郡日野町の金持神社から、更に2kmほど南側(岡山県側)へ進んだところに、金持神社とも関わり深い金持党の鎌倉時代の当主・金持景藤の墓があります。
 金持景藤は後醍醐天皇が隠岐の島を脱出し、船上山で戦った際、金持党300余騎を引き連れ馳せ参じ名和長年と共に幕府軍を迎え撃ち撃退します。
 足利尊氏が後醍醐天皇に反旗を翻した時も、天皇側につき各地に転戦しています。
 景藤の墓は家臣が持ち帰った鎧を埋葬し供養した宝篋印塔であると伝えられています。

金持景藤の墓入口
金持景藤の墓入口

金持景藤の墓
金持景藤の墓

鳥取県日野郡日野町金持
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