烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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船上山の戦い

 鳥取県東伯郡琴浦町にある「船上山」は、標高687メートル、大山山系の一つの山です。
 なだらかな山容が船底の形に似ていることからこの名があり、「屏風岩」と呼ばれる険しい断崖が数キロにわたって連なっているのが特徴です。屏風岩の南の勝田川には「鱒返滝」という滝があります。
 船上山は山岳霊場とし古くから人々の信仰を集めてきましたが、元弘の乱により隠岐の島への流罪とされていた後醍醐 天皇が、元弘3年/正慶2年(1333)に島を脱出すると、伯耆の豪族・名和長年が迎え、船上山に行宮を築きます。ここで名和長年は鎌倉幕府方の佐々木清高との間で激しい戦いを繰り広げ撃退します。「船上山の戦い」の勝利により周辺の武将は天皇の元へ集結。各地の武将もこれに呼応して、ついに鎌倉幕府は崩壊します。
 船上山の山頂付近には行宮碑が建立されていますが、後醍醐天皇の行宮の所在地は特定されていません。ただ、天皇が滞在された約80日間、ここで政務を行われたことから、その間を「船上山朝廷」と呼ぶ学者もいます。

船上山
船上山ダムより船上山を臨む。山頂付近に屏風岩と呼ばれる断崖が見えます。

鳥取県東伯郡琴浦町山川
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| 鎌倉時代 | 07:45 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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