烏鷺光一の「囲碁と歴史」

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

| スポンサー広告 | --:-- | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

建武の中興 名和長年の墓「三人五輪」

 以前、鳥取県を訪れた際に取材したものの紹介していなかった史跡が何ヶ所かありましたので、今回紹介させていただきます。
 鳥取県西伯郡大山町名和に「三人五輪」と呼ばれる数基の五輪塔があります。これは、元弘元年(1331)に起きた「元弘の乱」で討幕に失敗し隠岐島へ流されていた後醍醐天皇が再起を期して島を脱出した際、天皇を護り鎌倉幕府と戦った、建武の中興の忠臣名和長年と長男の義高、三男の高光の首塚といわれています。
 名和長年は伯耆国名和(鳥取県西伯郡大山町名和)で海運業を営んでいた名和氏の当主で、悪党と呼ばれた武士であったと言われています。
 隠岐島に流罪となっていた後醍醐天皇が島を脱出すると、名和長年は天皇を船上山(現在の鳥取県東伯郡琴浦町)に迎え、追撃する幕府軍と戦い勝利します。そして、後醍醐天皇は名和長年を伯耆守に任じています。
 後醍醐天皇を護衛して上洛した名和長年は鎌倉幕府滅亡後に天皇が開始した「建武の新政」で、楠木正成らとともに天皇近侍の武士となり、記録所や武者所、恩賞方や雑訴決断所などの役人を務めています。また、海運業を営んでいた経歴を買われ、京都の左京の市司である東市正にも任じられています。 天皇の忠臣であった長年は、伯耆(キ)守であったことから、同じく後醍醐天皇に重用された楠木(キ)正成、結城(キ)親光、千種(クサ)忠顕と合わせて「三木一草」と称されました。
 新政権下で活躍していた長年でしたが、新政での処遇に不満を持っていた足利尊氏が政権から離脱すると、楠木正成、新田義貞らと共に尊氏と戦い、京都大宮にて討死してしまいます。
 名和長年の長男の義高は泉州堺(現大阪府)、三男の高光は西坂本(現滋賀県)と、それぞれ別の場所で戦死していますが、それぞれ首を家臣が故郷へ持ち帰り、ここへ祀ったと伝えられています。
 明治維新後、天皇を護って戦死した南朝の武将の功績が見直され、明治19年(1886)には長年に正三位、昭和10年(1935)には従一位が追贈されています。明治17年(1884)には長年の末裔である福岡県名和神社宮司名和長恭が男爵を授けられています。男爵の墓が「三人五輪」の隣りに建立されていました。

三人五輪1

三人五輪2

鳥取県西伯郡大山町名和
スポンサーサイト

| 鎌倉時代 | 07:00 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

COMMENT















非公開コメント

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。