烏鷺光一の「囲碁と歴史」

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

| スポンサー広告 | --:-- | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

日本にスキーを広めた長岡外史

 長岡外史は山口県下松市出身で、明治11年(1878)に陸軍士官学校を卒業、明治18年(1885)には陸軍大学校を一期生として卒業しています。
 日清戦争では大島混成旅団の参謀を務め、明治35年(1902)には陸軍少将として、歩兵第9旅団長を務めています。
 明治37年(1904)、日露戦争では大本営陸軍部参謀次長を務め、明治41年(1908)には軍務局長、翌年には陸軍中将に昇進しています。次いで第13、16師団長を務めた後、大正5年(1916)に予備役となっています。
 その後、大正13年(1924)の総選挙で当選し、衆議院議員となり、昭和8年(1933)に76歳で亡くなくなりました。
 長岡は独特の風貌で知られ、横に長く伸びた髭は「プロペラ髭」と呼ばれていました。自慢の髭は最長で70cm弱にも達したといいます。
 新し物好きだった長岡は、新潟県高田(現在の上越市)の第13師団長時代に視察に訪れていたオーストリアの軍人レルヒ少佐が伝えたスキーを軍隊にはじめて導入、これが日本スキー発祥と言われています。
 長岡外史の墓は青山霊園内にあります。

長岡外史の墓
長岡外史の墓

青山霊園 1種イ10号6側
スポンサーサイト

| 明治・大正時代 | 07:00 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

COMMENT















非公開コメント

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。