烏鷺光一の「囲碁と歴史」

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

| スポンサー広告 | --:-- | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

西郷隆盛の肖像画を描いた キヨッソーネ

 幕末の英雄・西郷隆盛といえば丸顔に大きな目と太い眉毛が特徴の肖像画が有名で、上野の西郷隆盛像もこの肖像画を基に造られたそうですが、西郷隆盛は写真嫌いだったと言われ、写真は一枚も残されていません。
 西郷のイメージを決定付けた肖像画は、西郷の死後、似ていたと言われる、弟の西郷従道と従弟の大山厳をモデルにして描いたのだそうで、実際の顔とはずいぶん違っていたとも言われています。その西郷隆盛の肖像画を描いたイタリア人の銅版画家キヨッソーネの墓が青山霊園にあります。
 イタリアのジェノヴァ出身のエドアルド・キヨッソーネは、リグーリア美術学校で銅版画の彫刻技術を学び、1867年開催のパリ万国博覧会では出品した銅版画が銀賞を受賞するほどの実力を身につけます。
 その後、イタリア王国国立銀行に就職し紙幣造りに関わったキヨッソーネは出向先のドンドルフ・ナウマン社で日本政府が発注した政府紙幣(明治通宝)製造にも関わっています。
 樹立間もない明治政府では偽造されない精巧な紙幣を国産により製造する事を目指していて、その技術指導者としてキヨッソーネを招聘します。
 明治8年(1875)に来日したキヨッソーネは大蔵省紙幣局(現・国立印刷局)を指導。印紙や政府証券の彫刻をはじめとする日本の紙幣・切手印刷の基礎を築きます。日本で製造された紙幣の初期の彫刻はほとんど彼の手がけた作品だったそうです。
 また、1888年には宮内省の依頼で明治天皇の御真影を製作。この他、元勲や皇族の肖像画も多く残し、西郷隆盛の肖像もその中の一つだったそうですが、西郷本人と面識がなかったキヨッソーネは周囲のアドバイスを受けて西郷従道と大山巌をモデルに作り上げたそうです。
 明治24年(1891)に雇用期間が終了したキヨッソーネは退職金と年金により日本の美術品や工芸品を収集。彼の死後、収集品は故郷のイタリアに送られ、現在はジェノヴァ市立のキオッソーネ東洋美術館に収蔵されています。キオッソーネ自身は終生日本で暮らし、1898年に東京・麹町の自宅で亡くなっています。

キヨソネの墓
キヨッソーネの墓

キヨソネの墓の碑
キヨッソーネの墓の碑

青山霊園・外国人墓地南1種イ6側48
スポンサーサイト

| 明治・大正時代 | 07:00 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

COMMENT















非公開コメント

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。