烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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天皇の料理番 秋山徳蔵の墓

 4月26日からTBSテレビにおいて新ドラマ「天皇の料理番」がスタートします。原作は直木賞作家の杉森久英宮が昭和54年に出版した小説で、宮内省大膳職司厨長(料理長)を務めた秋山徳蔵の青年期から主厨長になるまでを描いた作品です
 今回が三度目のドラマ化で、最初のドラマは昭和55年(11980)から半年にわたり放送され、主人公を堺正章氏が演じていました。。なお、テレビドラマでは「秋山篤蔵」という名前に変えています。
 秋山徳蔵は明治21年(1888)に現在の福井県越前市で料理店を営む高森家に生まれ、鯖江にあった陸軍の連隊を訪ねた際に食堂で西洋料理と出合ったことをきっかけに、16歳で単身上京、華族会館の見習いとして料理人としての人生をスタートさせます。
 以後、駐日ブラジル公使館、築地精養軒の料理長を歴任し、明治42年(1909)からはフランスに渡り、パリの日本大使館の紹介によりホテルの厨房で働き始めた徳蔵は、次第に周囲の人々に認められ、ついに当時フランス料理界の最高峰であったリッツホテルで働く事になります。リッツホテルの料理長・オーギュスト・エスコフィエは、フランス各地の料理を体系化し、コースメニューを導入するなどフランス料理を芸術にまで高めた人物で、徳蔵はエスコフィエからフランス料理の神髄を学んでゆきます。
 その後、大正天皇即位の礼で、本格的フランス料理を提供するために宮内省に招かれて帰国。大正2年(1913)には新設された宮内省大膳寮司厨長に就任し、大正天皇、昭和天皇の食事をはじめ宮中の料理を統括します。また、同年に秋山俊子と結婚して秋山姓となっています。
 秋山徳蔵は、宮中の料理を通じて、日本での「西洋料理」を体系化し、「日本の食を変えた人物」とも言われています。
 また、第二次世界大戦後、GHQにより天皇制が論議された際にはGHQの要人を料理でもてなし天皇制存続を陰ながら支えたとも言われています。
 一方、料理に対しては研究心旺盛であると共に謙虚であったと言われ、「西洋料理」トップの地位を確立しながら、昭和天皇が高齢となり、日本食を好まれるようになると、自ら日本料理店に出向き、天ぷらの作り方を学んだりしています。
 昭和47年(1972)に84歳で現役を引退した秋山徳蔵は、昭和48年(1973)に勲三等瑞宝章を受章し、翌年に死亡。青山霊園に葬られました。

秋山徳蔵の墓

青山霊園 1種ロ7号3側
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