烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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吉田松陰の妹 楫取寿の墓

 青山霊園の一画に「従五位楫取素彦妻杉氏墓」と刻まれた巨大な墓があります。
 楫取素彦の妻と言えば、今年のNHK大河ドラマ「花燃ゆ」の主人公で吉田松陰の妹・文(美和子)の事かと思いましたが、調べてみると、素彦の最初の妻で文の姉である寿(久子)の墓である事が分かりました。ドラマではタレントの優香さんが演じている人物です。
 小田村伊之助(楫取素彦)の最初の妻である寿(久子)は天保10年(1839)に長州藩士・杉百合之助の次女として生まれます。兄に吉田家に養子に入った吉田松陰がいます。
 15歳で松陰の知人であった伊之助に嫁いだ寿は2児を設けます。夫を支えた寿は、男勝りの性格だったようで「烈婦」とも呼ばれていた寿は、伊之助が野山獄(牢獄)に投獄されたときに、妹の文を連れて夜中に訪ね、役人の目を盗んで食べ物や衣類を差し入れたという逸話が残されています。NHK大河ドラマ「花燃ゆ」 が企画されたとき、地元の関係者は妹の文ではなく寿の方を主人公に推していたと言われています。
 寿は熱心な仏教の信者で、素彦が群馬県令となると群馬県に清光寺を創建するなど布教活動に取り組みますが、明治10年頃より中風を患い療養のために東京に帰ります。しかし、病状は回復する事なく明治14年(1881)に43歳で亡くなっています。

 寿の墓は、その隣りにある楫取家の墓と比べても巨大な墓石です。これは、寿が楫取家の祖にあたる人物だからです。
 楫取素彦は長州藩藩医松島家の出身で、幼少時に藩の儒官・小田村家の養子となり小田村伊之助と名乗ります。幕末に主命によって楫取姓に改めますが、この時、長男の希家は小田村の姓を名乗り小田家を存続させ、次男の道明が楫取家を継いでいます。この道明は叔父の吉田松陰に劣らぬ波乱に満ちた人生を送っています。
 寿の妹である文は松陰の愛弟子の久坂玄瑞に嫁ぎますが、玄瑞は「禁門の変」により非業の死を遂げます。二人の間に子供がいなかったため、道明が文の養子となり久坂家に入ります。
 ところが、間もなく玄瑞には京都の芸妓との間に子供がいた事が判明(玄瑞の死後誕生)。道明は楫取家へに戻ります。なお、文は後に素彦と再婚したために、再び道明の母となっています。
 楫取家を継いだ道明は、明治28年(1895)、日清戦争後の「日清講和条約」により割譲された台湾に建設された学校に教師として赴任します。しかし、学校が清朝残党の反日武装ゲリラに襲撃され道明を初めとする6名の教師全員が惨殺されてしまいます。殺された教師たちはゲリラの不穏な動きを察知していながら、武装していたのでは現地の人の理解を得ることはできないと武器を持っていなかったそうで「六氏先生」として台湾教育者の鑑と讃えられています。

楫取寿の墓(右)と楫取家の墓(左)

 楫取寿の墓の隣りにある楫取家の墓に刻まれた名前を見てみると、最初に「久坂棒太郎」という名前があります。悲劇的な最後を遂げた楫取道明の長男です。道明は台湾で亡くなっているので、こちらには墓が無いのでしょうか。
 棒太郎は久坂家を継ぐために養子となり、久坂姓を名乗っています。(こちらに墓があるという事は実際には継いでいないのでしょう。)楫取四郎、三郎は棒太郎の弟です。
 楫取美寿子は道明の夫人で、公武合体派の公家として和宮降嫁に尽力した千草有文の孫です。姉妹に明治天皇の側室・任子がいます。

楫取家の墓の墓誌

青山霊園 1種イ1号29側
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