烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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神田明神へ参拝しました 2

 神田明神の社殿脇にある獅子山に乗っている石獅子は武州下野の名工石切藤兵衛が生涯でわずか3つしか造らなかった石獅子の1つと言われています。3つの獅子は「坂東三獅子」と呼ばれ世に知られていました。
 当時の庶民の信仰を知る上で貴重な資料で、親獅子が子獅子を谷底に突き落とし、はいあがってきた子をはじめて我が子とするという話にちなみ、かつては神社境内参道の両脇に親子の獅子が据えられていましたが、関東大震災により獅子山が崩壊し親獅子2頭のみが残されていました。
 そして、今上天皇陛下ご即位を記念して子獅子を新たに造り、現在の場所に「獅子山」が建立されました。

石獅子
石獅子

 神田明神の社殿脇には「明治天皇御臨幸記念碑」が建立されています。明治7年(1874)に神田明神に明治天皇が初めて御親拝され、その後も度々、訪れておられます。神田明神では天皇をお迎えするために、二の宮に少彦名命が迎え、平将門霊神は本殿から摂社へ遷座されるなどの準備を行っています。碑は紀元2600年を記念して昭和15年(1940)に建立されています。

明治天皇御臨幸記念碑
明治天皇御臨幸記念碑

 小説家・野村胡堂の名作「銭形平次捕物控」で、主人公の平次親分が神田明神下台所町の長屋に恋女房お静と2人で住み、明神界隈を舞台に活躍していたことから、境内には昭和45年に日本作家クラブが発起人となり銭形平次の碑が建立されました。
 「捕物控」は昭和6年に1作目が発表されて以来、27年間で383編も続きます。また、映画やテレビドラマも製作され大変人気がありました。隣には子分・がらっ八の小さな碑もあります。
 以前、訪れた時は気が付かなかったのですが、石碑の台座は「寛永通宝」を模しています。また、台座を囲む石柱にも「寛永通宝」のデザインがありました。

銭形平次の碑
銭形平次の碑

銭形平次の碑
銭形平次の碑

 神田明神境内に「国学発祥の地」という碑が建立されています。国学は、伏見稲荷大社神職の出である荷田春満により江戸において始められた学問で、日本の古典を研究し、儒教や仏教の影響を受ける前の日本独自の文化・思想、精神世界(古道)を明らかにしようとする学問です。
 春満は有名な赤穂事件のとき、吉良邸に出入りしていて、赤穂浪士たちに密かに情報を提供していたというエピソードもあります。春満の最初の弟子である芝崎好高は神田明神の神主で、邸宅を講義の場として提供していました。好高の兄弟弟子である賀茂真淵も、芝崎邸に一時住んでいたそうで、真淵はその後、御三卿・田安宗武に仕える一方、江戸在住の武家・町人層を中心に国学を広めています。

国学発祥の碑
国学発祥の碑


東京都千代田区外神田2丁目16番2号

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