烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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木母寺の史跡

 墨田区堤通にある木母寺には、多くの碑などが建立されています。

 木母寺境内にある「身代わり地蔵尊」は、寺が旧地にあった頃、門前に安置され多くの人々に厚く信仰されてきました。
 地蔵尊とは、そもそも人々がめぐり巡る6つの境涯(六道)の悩みや苦しみを察し、身代わりとなる「代受苦の菩薩」として信仰をあつめていて、人々はつらいこと、苦しいこと、悲しいことが起こった時には、このお地蔵様にお参りしていたそうです。

身代わり地蔵尊
身代わり地蔵尊

 木母寺境内で、ひと際目を引く巨大な碑があります。「天下之糸平」と刻まれた碑は明治時代の大豪商、田中平八を顕彰したものです。
 商人であった平八は、維新の志士らと交わり。元治元年(1864)には水戸の天狗党の乱に参加しますが捕えられて投獄されたといいます。出獄後は商売に生きることを決意し、慶応元年(1865)に横浜で「糸屋平八商店」を開業。生糸・為替・洋銀・米相場で巨利を得ます。
 平八は公共事業にも尽力し、横浜では自費を投じ、水道やガス灯を整備、弁天地区の埋め立てなども行っています。その後、東京へ進出すると第二国立銀行などの銀行設立にも関わり、東京株式取引所設立にも参加し大株主となっています。
 晩年に病のため熱海で療養しますが、療養中に仕事をするため、私財を投じて水道を敷設。小田原・熱海間の電信線の架設も行っています。
 田中平八は明治17年に51歳で亡くなりますが、その功績が評価されて、明治24年に顕彰碑が建立されます。なお、碑の揮毫は伊藤博文によるものだそうです。


天下之糸平碑
天下之糸平碑

「三遊塚」は落語家三遊亭円朝が初代および二代目・三遊亭圓生(師匠)を追善記念するために明治22年に建立したものです。碑は「幕末の三舟」と言われた山岡鉄舟の揮毫、高橋泥舟の筆によるものです。

三遊塚
三遊塚

木母寺  東京都墨田区堤通2丁目16−1
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