烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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岐雲園跡

 墨田区墨田1丁目に幕末に外国奉行として活躍した岩瀬忠震が晩年を過ごした「岐雲園」跡があります。
岐雲園は、広さ約500坪(1650㎡)、河水を引いた汐入りの池のある別荘風の構えで、岩瀬忠震が、自分の所有する画巻の筆者、明の魯岐雲にちなんで名付けました。
 忠震は、目付・外国奉行として幕末の外交に尽くした人で、海外事情に精通して早くから開国政策を唱え、各国との交渉に多くの業績を挙げましたが、将軍継嗣問題で大老井伊直弼と対立して罷免されます。
 忠震は、ここ岐雲園で退隠生活を送り、再び世に出ることもなく、風雅な生活を楽しみました。忠震の号である「鷗所」は隅田川に翔ぶ都鳥にちなんでつけたと言われ、文久元年(1861)に44年の生涯を閉じます。近くの白鬚神社には先日紹介しましたが、顕彰碑「岩瀬鷗所君之墓碑」が永井介堂の碑文で建立されています。介堂は、永井尚志ともいい忠震とともに幕政、外交に力を尽くした人で、晩年を岐雲園で送り、この地で没しています。
 また、岐雲園には幸田露伴の長兄、成常も住み、露伴自身も居住していた時期があったそうです。

岐雲園跡
岐雲園跡

岐雲園跡説明板
現地説明板


墨田区墨田1丁目4番
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