烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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平賀源内の墓

 台東区橋場に、江戸時代中期から後期にかけて多方面で活躍した平賀源内の墓があります。
 平賀源内は享保13年(1728)、讃岐国志度浦(現香川県志度町)に生まれます。高松藩士白石良房の三男で名は国倫。源内は通称です。
 寛延二年(1749)に家督を継ぐと、祖先の姓である平賀姓を名乗り、本草学・医学・儒学・絵画を学びます。鉱山開発、陶器製造、毛織物製造などをおこない物産会を度々主催。発明家としてはオランダ製のエレキテル(摩擦起電機)を復元製作、火浣布(石綿の耐火布)の開発を行っています。一方で風来山人・福内鬼外などの号名を持つ作家として「風流志道軒伝」などの滑稽本や、浄瑠璃「神霊矢口渡」などの作品を残しています。
 土用の丑の日にウナギを食べるという風習は、夏場の売り上げ不振に悩んだ鰻屋に請われて、平賀源内が考案した「本日土用丑の日」という広告によるものという説があり、源内は日本初のコピーライターとも呼ばれています。
 源内は安永8年(1779)に誤って殺傷事件を起こし、小伝馬町の牢内で病死、遺体は橋場の総泉寺に葬られます。
 総泉寺は昭和3年(1928)に板橋区小豆沢へ移転しますが、源内の墓は移転せずに残されます。昭和6年には松平頼壽(旧高松藩当主)により墓所に築地塀が整備され、昭和18年に国指定史跡となっています。
 なお、源内の墓の隣りにある墓が気になって調べてみたら従僕福助の墓という事でした。また、墓所敷地内に幕末の儒学者・寺門静軒の碑が建立されていました。碑文は剥落していて読めませんが、総泉寺とゆかりがあったのでしょうか?

平賀源内墓所築地塀
平賀源内墓所築地塀

平賀源内墓所
平賀源内墓所

平賀源内の墓
平賀源内の墓

従僕福助の墓
従僕福助の墓

寺門静軒の碑
寺門静軒の碑

台東区橋場2-22-2
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