烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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白鬚神社 2

 白鬚神社がある辺りは昔、寺島村と呼ばれ、水田が拡がる江戸近郊の農村でした。隅田川上流から運ばれる肥沃な土はナス作りに適し、江戸時代より「寺島ナス」と呼ばれるナスの産地として知られていました。「寺島ナス」は船で江戸に出荷されていた一大ブランドでした。

白鬚神社拝殿
白鬚神社拝殿

神社境内に墓碑がある岩瀬鴎所は江戸時代末期の外交家。文政元年江戸で生まれています。名は忠震で、鴎所の号は隅田川の辺に住んだことに由来しています。
幕府の徒頭・設楽貞夫の子で、天保11年(1840)に旗本岩瀬忠正の養子となり、嘉永2年(1849)老中阿部正弘から目付に抜擢されます。
鴎所は昌平坂学問所で漢学を学ぶ一方、蘭学も学び、当時の海外の事情通として知られます。幕府の鎖国政策を非難し、砲台や軍艦の製造、および海軍伝習の開始に参画します。しかし、将軍継嗣問題で、大老井伊直弼と対立したため、安政6年に蟄居となり向島に隠居します。隠居後は読書文芸にふける悠々自適の生活を送り、文久元年(1861)に44歳で亡くなっています。

岩瀬鷗所の墓碑
岩瀬鷗所の墓碑

 山玉向島講社は、かつて向島地域にあった富士講の一つで山玉深川元講の枝講だったと考えられています。明治8年頃にはすでに存在し、夏季には20名程度の人数で富士山への登山を行っていたようです。神社境内には大正11年に建立された碑があり、区の登録文化財に指定されています。

山玉向島講社の碑
山玉向島講社の碑

 白鬚神社の前に「西川春洞・寧住居跡」の案内板が建っていました。西川春洞は明治、大正にかけて活躍した書の大家で、日下部鳴鶴と並び、現在の漢字書道界の基礎を作り上げた人物として知られています。
 神社前の住居では多くの門人が学び、この地で64歳で亡くなっています。
 春洞の三男である西川寧は、「昭和の三筆」の一人で「書の巨人」とも呼ばれた大家ですが、明治35年(1902)に、この住居にて生まれています。

西川春洞・寧住居跡
西川春洞・寧住居跡


東京都墨田区東向島3-5-2
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