烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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今戸神社 沖田総司終焉の地

 「招き猫発祥の地」として知られる今戸神社は、新撰組の中でも人気の高い一番隊組長・沖田総司の終焉の地でもあります。
 陸奥国白河藩藩士の子として、江戸の白河藩屋敷で生まれた総司は、9歳頃、江戸市谷にあった天然理心流の道場・試衛館の内弟子となり、近藤勇、土方歳三と共に修行に励みます。
 文久3年(1863)の浪士組結成に参加して上洛し、分裂後は近藤らと共に新選組を結成。沖田は一番隊組長となります。
 元治元年(1864)6月5日の池田屋事件において、近藤らと共に最初に池田屋に踏み込みますが、戦いの最中に肺結核による喀血により倒れたといわれています。(諸説あり) 
 その後も、体調が悪いながらも戦いに参戦していましたが、鳥羽・伏見の戦いの時は更に悪化し大坂に滞在。旧幕府軍の敗退により、隊士と共に船で江戸へ戻ります。
 幕府御典医で旧幕府軍と行動を共にしていた松本良順は和泉橋の医学所で患者の治療にあたり、沖田もここで治療を受けますが、薩長軍の江戸入りに際して、総司を含む患者たちは良順とともに今戸神社へ移ります。
 しかし、治療の甲斐無く慶応4年5月30日(1868年7月19日) に亡くなったそうです。

今戸神社入口
今戸神社入口

狛犬
狛犬

沖田総司終焉の地碑
沖田総司終焉の地碑


東京都台東区今戸1丁目5-22
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