烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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待乳山聖天の碑

 「待乳山聖天」のある待乳山は、かつては周囲が見渡せる景勝地であったため、江戸時代より多くの文人がこの地を訪れていました。境内には多くの碑が建立されています。

 池波正太郎は、大正12年に「待乳山聖天」のすぐ近くで生まれます。関東大震災によりこのあたりは焼失たため生家は残されていませんが、正太郎は「隅田川の水と待乳山聖天宮は、私の心のふるさとのようなものだ」と語っています。
 池波正太郎の作品には待乳山や近くの今戸、橋場などが、度々舞台として登場しています。生誕地碑は、平成19年11月に「待乳山聖天」入口の台東区立待乳山公園に建立されました。

池波正太郎の碑
池波正太郎の碑

 アメリカの発明家リー・ド・フォレスト博士はラジオ局を立ち上げ実験放送を開始するなどし「ラジオの父」と呼ばれていますが、1919年(大正12年)にサウンド・オン・フィルム方式(フィルムに映像と共に音声データも焼き付ける方式)のトーキーを開発します。
 貿易商の皆川芳造はトーキーの将来性に着目し渡米すると東洋におけるトーキーの製作および配給権を獲得し、大正15年には大森撮影場において撮影を開始し、ミナトーキーの名で映画を撮影します。こうしてトーキー映画は日本、そして東洋へと広まっていきました。
 フォーレスト博士は戦後、GHQのマッカーサー元帥を介して日本へテレビ放送開始を働きかけるなど、日本の文化に大きく貢献しています。碑は皆川芳造により建立され、トーキー渡来の由来とテレビジョン創成の経緯が記されています。

トーキー渡来記碑
トーキー渡来記碑

 戸田茂睡は元禄時代に活躍した歌人で、歌道の革新を唱えます。碑は江戸最古の歌碑と称されていましたが戦火により破壊されます。
 現在の碑は、残されていた拓本をもとに昭和30年に再建されたものです。

戸田茂睡歌碑
戸田茂睡歌碑

 「糸塚」は、元治元年(1864)に長唄琴三絃の名人といわれた十一世杵屋六左衛門が父の名人十世杵屋六左衛門の供養のために建てた石碑です。

糸塚
糸塚


東京都台東区浅草7-4-1
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