烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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被官稲荷社と新門辰五郎

 浅草神社に隣接する「被官稲荷社」は、安政元年(1854)に神門辰五郎の妻女が重病となり、辰五郎が京都の伏見稲荷に祈願したところ病気が全快したことから翌年、京都から祭神を勧請しし社を創建したことに始まります。
 神門辰五郎は上野寛永寺住職輪王寺宮の家来、町田仁右衛門の養子で、輪王寺宮舜仁親王が浅草寺伝法院に隠居した際に上野へ行くのに便利な位置に新しい門が設けられ辰五郎が門番を命じられた事から「新門」と名乗るようになりました。
 辰五郎は町火消「を組」を継承し、侠客の元締め的存在でもありました。一橋慶喜(徳川慶喜)とも親交があり、元治元年(1864)に禁裏御守衛総督に任じられた慶喜が京都へ上洛する際に同行し二条城の警備などを行っています。
 「鳥羽・伏見の戦い」で旧幕府軍が敗北すると慶喜は突然、江戸へ引き上げますが、辰五郎は大坂城に残された家康から伝わる金扇の大馬印を取り戻し江戸へ送り届けています。そして、慶喜が謹慎した上野寛永寺の警護にもあたっています。また、辰五郎の娘は慶喜の妾になっています。

被官稲荷社
被官稲荷社

被官稲荷社の鳥居
被官稲荷社の鳥居

鳥居に刻まれた新門辰五郎の名
鳥居に刻まれた新門辰五郎の名(鳥居は新しそうなので再建されたものかも?)

新門の名が刻まれた灯籠
新門の名が刻まれた灯籠


東京都台東区浅草2-3-1
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