烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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浅草神社

 浅草の浅草寺本堂右隣にある「浅草神社」は三社権現、三社様とも呼ばれ、毎年5月に開催される例大祭「三社祭」が有名です。
 浅草神社は、明治より前は浅草寺と一体化した神社で、浅草寺の創建に関わった土師真中知(はじのあたいなかとも)、檜前浜成(ひのくまはまなり)・武成(たけなり)が主祭神として祀られています。この三人の霊が「三社権現」の語源となっています。
 社伝によると、推古天皇36年(628)に、漁師の檜前浜成・武成の兄弟が現在の隅田川で漁をしていたところ、網に仏像がかかります。兄弟がこの地域で文化人として知られていた土師真中知に相談した所、これは観音像であると教えられ、二人は観音像に祈念するようになったそうです。
 やがて、土師真中知は出家して僧となり、自宅を寺とし、観音像を祀ります。それが浅草寺の始まりだそうです。
 浅草神社は平安時代の末期から鎌倉時代にかけて、三人の子孫が祖先を神として祀ったものであると考えられています。明治の神仏分離により浅草寺と別れ、三社明神社となり、明治6年に浅草神社と改称しています。
 現在の社殿は徳川家光の寄進で慶安2年(1649)に建てられたもので、国の重要文化財に指定されています。

浅草神社境内
浅草神社境内

 水野忠邦により天保12年(1841)に始められた「天保の改革」では贅沢の禁止と風俗取締りとして芝居小屋を廃止しようという動きがありました。これに対し、庶民の楽しみを奪うべきでは無いとして、「遠山の金さん」で有名な北町奉行・遠山景元が猛烈に反対し、結局、芝居小屋は浅草猿若町へ移転し、ここだけで上演されることになります。
 以降、浅草は芸能の町として多くの人々で賑ってきました。浅草神社には歌舞伎役者などの碑などが多く建立されています。

浅草神社の玉垣
歌舞伎役者の名が刻まれた玉垣

 浅草神社の手水鉢も歌舞伎役者により奉納されたものです。昭和34年の日付から考えると、「中村吉右衛門」とは明治末から昭和にかけて活躍した初代中村吉右衛門の事で、隣りに刻まれた「波野千代」は、その夫人です。
 「松本幸四郎」は初代中村吉右衛門の娘と結婚した八代目松本幸四郎で、「市川染五郎」は、その息子の六代目市川染五郎、現在の九代目松本幸四郎です。七代目市川染五郎や女優の松たか子の父親といった方が分かりやすいでしょうか。
 さらに、その隣りに刻まれている「 中村萬之助」とは九代目松本幸四郎の実弟である二代目中村吉右衛門の事です。フジテレビの時代劇「鬼平犯科帳」で主役の長谷川平蔵を演じて広く知られています。

手水舎
手水舎

手水鉢
手水鉢


東京都台東区浅草2丁目3-1
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