烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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渋沢栄一の墓

 渋沢栄一は幕末から大正時代にかけて活躍した実業家で「日本資本主義の父」と呼ばれています。
 天保11年(1840)に埼玉県深谷市で生まれた栄一は、一橋慶喜に仕え、慶喜が将軍に就任すると幕臣としてパリで開催された万国博覧会に幕府代表団の一人として参加。ここで株式会社制度など様々な知識を学んでいます。
 帰国後、大隈重信らに請われ新政府の大蔵省へ入省。国立銀行設立等に取り組んでいますが、大久保利通や大隈重信と方針を巡り対立し退官、実業家へ転進します。
 実業家となってからは第一国立銀行(現みずほ銀行)、東京ガス、王子製紙、京阪電気鉄道、東京証券取引所、キリンビール、サッポロビール等、様々な企業の設立に関わる一方、日本赤十字社設立等、社会活動にも力を注ぎます。
 STAP細胞問題で大騒動となった理化学研究所も渋沢栄一により設立されています。
 また、囲碁界においても、方円社の有力な後援者の一人でもありました。
 渋沢栄一は、他の実業家と違い、財閥を形成して自らの利益を求めるのではなく公益性を重視して行動してきました。そのため、大正9年(1920)には子爵を授かっています。(他の財閥創始者のほとんどが男爵止まり)
 栄一は昭和6年(1931)に91歳で亡くなり谷中霊園に葬られます。渋沢栄一の墓碑銘は、外務省官僚で書家としても有名だった杉山三郊(令吉)によるものです。日露戦争で旗艦三笠に掲げられたZ旗の「皇国の興廃此の一戦に在り。各員一層奮励努力せよ」という有名な言葉は、杉山の発案であったのを小笠原長生が自分の発案だと東郷司令長官に上申したとの逸話があります。
 杉山三郊、は書を漢学者で書も極めたと言われる父の杉山千和より学んでいますが、千和は囲碁の強豪でもあり安政2年には本因坊秀和より5段の免許をうけ、明治以降は方円社にてトップクラスの棋士として活躍しています。
 
渋沢栄一の墓

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東京都台東区谷中 谷中霊園 乙11号1側

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