烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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徳川慶喜の息子で勝海舟の養子 勝精

 谷中霊園の江戸幕府最後の将軍・徳川慶喜の墓の隣りに、慶喜の息子で勝海舟の養子となり家督を継いだ、勝 精(かつ くわし)の墓があります。
 精は明治21年(1888)に慶喜の十男として誕生。明治25年(1892)に勝海舟は嫡子小鹿が亡くなったため、徳川慶喜と徳川宗家を継いだ家達に精との養子縁組を申し入れ承諾を得ています。
 明治32年(1899)、勝海舟が亡くなる直前に精は勝小鹿の娘・伊代子と結婚し婿養子となり家督を相続し、伯爵となります。また、精は「浅野セメント」など企業の重役を歴任するなど実業家として活躍し、昭和7年(1932)に亡くなっています。
 実父の徳川慶喜は写真・狩猟・投網・囲碁・謡曲など多趣味であったと言われていますが、精も多趣味で写真やビリヤード、狩猟・投網などが好きでした。また、オートバイに興味を持ち、屋敷内に鉄工所を建設、大正12年(1923)に排気量1000ccのバイクを製作しています。製作にあたったメンバーは後にオートバイのメーカー「目黒製作所」を創業。後に川崎重工業に吸収され、オートバイメーカー「カワサキ」のルーツになっています。

勝 精


東京都台東区谷中 寛永寺谷中墓地。徳川慶喜の舗装通路向かい側
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| 明治・大正時代 | 07:22 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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