烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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「明治の毒婦」 高橋お伝

 谷中霊園の中の公衆トイレの隣りに。「明治の毒婦」と呼ばれ、強盗殺人の罪で斬首された高橋お伝の墓があります。
 嘉永3年(1850)に現在の群馬県で生まれたお伝は慶応2年(1867) に結婚しますが最初の夫はハンセン病を発病した後に亡くなっています。お伝は手厚く看病していたといいますが毒殺したという説もあります。
 その後、やくざ者と恋仲となり各地を転々とし借金を抱えていったお伝は、明治9年(1876)8月27日に浅草蔵前の旅籠屋「丸竹」にて古物商の後藤吉蔵を殺害して、お金を奪って逃走。9月9日に強盗殺人容疑で逮捕されます。
 裁判は当時としては異例の長期にわたり、明治12年(1879)1月31日に東京裁判所で死刑判決。市ヶ谷監獄にて斬首されます。その後、刑法が変わり、斬首刑は廃止されたため、お伝は打ち首になった最後の人物だそうです。
 お伝の事件は新聞などで取り上げられ評判となり、歌舞伎や小説で取り上げられます。亡骸は小塚原回向院に埋葬され鼠小僧次郎吉らと隣接して墓がありますが、明治14年 (1881年) の三回忌の時に、お伝をモデルとした小説「高橋阿伝夜刃譚」を執筆した仮名垣魯文らが中心となって谷中霊園にも墓碑が建立されたそうです。

高橋お伝の墓
高橋お伝の墓

高橋お伝の墓説明板
現地説明板

東京都台東区谷中 谷中霊園 甲2号1側
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| 明治・大正時代 | 07:00 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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