烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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大久保利通暗殺犯の墓

 谷中霊園の一画に木々に囲まれて小さな墓石が六つ並んでいます。西郷隆盛、木戸孝允と並んで「維新の三傑」と称され、明治新政府の実質的トップであった大久保利通を暗殺した暗殺犯の墓です。
 明治11年(1878)5月14日朝、参議兼内務卿大久保利通は、二頭立て馬車に乗り護衛もつけず、霞ヶ関の屋敷から赤坂御所に向けて出発し、紀尾井坂へ差し掛かりました。この時、不平士族6名の刺客が襲いかかります。日本刀で馬の足を切った後、御者を刺殺。次いで乗車していた大久保を馬車から引きずり降ろします。大久保は「無礼者」と一喝しますが斬殺され49歳の生涯を閉じます。
 「紀尾井坂の変」と呼ばれる暗殺事件の実行犯は石川県士族島田一郎・長連豪・杉本乙菊・脇田巧一・杉村文一および島根県士族の浅井寿篤の6名です。彼らのリーダー格であった島田一郎は西郷隆盛に心酔。萩の乱、西南戦争に呼応し挙兵を試みますが断念し、方針を要人暗殺に切り替えていました。
 6名は逃走するのは卑怯だとして自首。島田らが暗殺時に持参していた斬奸状にはその理由として次の理由を挙げています。

 ・国会も憲法も開設せず民権を抑圧している。
 ・法令の朝令暮改が激しく、また官吏の登用に情実・コネが使われている。
 ・不要な土木事業・建築により国費を無駄使いしている。
 ・国を思う志士を排斥して内乱を引き起こした。
 ・外国との条約改正を遂行せず国威を貶めている。

しかし、彼らが主張した「大久保が公共事業を利用して蓄財した」という指摘は思い込みで、実際は大久保は事業費の不足分に私財を当時、借金して対応していたため、死後、多額の借金が残されたそうです。このままでは大久保の遺族が路頭に迷うとの配慮から、政府は大久保が生前に鹿児島県庁に学校費として寄付したお金を回収し、さらに募金を集めて遺族へ返したそうです。この事実を知らされた島田らは愕然としたといいます。
 政府は暗殺犯をについて大審院に「臨時裁判所」を開設して裁きます。暗殺から約2ヶ月後の7月27日に死刑判決を言い渡され、6名は即日、斬罪となっています。

大久保の死後、政府要人には必ず警護が付くようになったそうです。また政府内の主導権は伊藤博文ら長州閥に移ることとなりました。

大久保利通暗殺犯の墓

東京都台東区谷中 谷中霊園乙8号3側

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