烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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内閣総理大臣 鳩山一郎

 谷中霊園にある第52・53・54代内閣総理大臣鳩山一郎の墓にお参りしました。
 東京出身の鳩山一郎は大正元年(1912)に東京市議会議員に当選。大正4年(1915)に衆議院議員に当選して以来、国会議員として活躍します。政友会の田中義一総裁に気に入られ昭和2年(1927)の田中義一内閣では内閣書記官長に起用されます。
 昭和5年(1930)に立憲民政党を中心とする濱口内閣は「ロンドン海軍軍縮条約」を批准しようとしますが、鳩山らは軍縮問題を内閣が決めるのは天皇の統帥権の干犯に当たるとして国会で攻撃します。これが、濱口首相狙撃事件の遠因となったと言われます。鳩山は狙撃による傷が癒えぬ濱口首相に対して執拗に国会登院要求を行い、無理を押して登院した濱口首相が5ヶ月後に死去。首相を殺したのは鳩山一郎だとまでいわれます。鳩山の狙いは対立する立憲民政党への攻撃でしたが、軍縮を推進していた濱口内閣が崩壊したため軍部の暴走を止めるものがいなくなり日本は戦争への道を突き進む事となります。そのため、鳩山は終戦後、GHQから軍国主義者として追及される事となります。
 終戦後の、昭和21年(1946)に行われた総選挙において鳩山が総裁を務める「日本自由党」が第一党になり、鳩山総の首相就任が確実となりますが、選挙直後に戦前の統帥権干犯問題をGHQが問題視し、鳩山は公職追放となります。そして、「日本自由党」の総裁は吉田茂が引き継ぎ、吉田内閣が誕生します。さらに、追放解除目前の昭和26年(1951)に脳梗塞で倒れるという不運にも見舞われています。しかし、こうした不運続きが世間の同情を買う事になり新たに結党された「日本民主党」の総裁に就任。ワンマンであった吉田茂が政権から降りると昭和29年(1954)に第52代内閣総理大臣に就任しました。その後、、「日本自由党」と「日本民主党」は合併して現在の「自由民主党」が結成されています。
 鳩山内閣は三期続きますが、その間、吉田前政権のアメリカ中心の外交から転換し、日ソ国交回復に尽力しています。
 昭和31年(1956)に日ソ共同宣言により国交が回復すると鳩山は内閣を総辞職し政界を引退。昭和34年(1959)に亡くなっています。政界引退後も何かとお騒がせな、第93代内閣総理大臣・鳩山由紀夫氏は一郎の孫にあたります。

鳩山一郎の墓
鳩山一郎の墓

鳩山一郎の墓所の碑
鳩山一郎の墓所の碑


東京都台東区谷中 谷中霊園 乙 8号 4側
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