烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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俳優 長谷川一夫の墓

 谷中霊園にて日本映画の代表的な二枚目俳優として活躍した長谷川和夫の墓へお参りしました。
 明治41年(1908)に京都伏見の芝居小屋で生まれた長谷川和夫は幼少時より子役として舞台に立ち、初代中村鴈治郎の長男・林長三郎の一座に加わり、林長丸の名で人気を博します。
 昭和2年(1927)に松竹へ入社し「林長二郎」としてデビュー。その美貌から、たちまち日本を代表するスターとなります。
 余談ですが、流行に左右され熱中してしまう人を「ミーハー」と呼びますが、これは、当時の若い女性の好きなものといえば「あんみつ」と「はやし」だったからという説があります。
 昭和25年に東宝への移籍騒動にからみ暴漢に顔を斬りつけられ再起不能かと言われましたが、芸名を本名の長谷川一夫に戻し、見事に復活。その後も活躍を続け、映画「地獄門」でカンヌ国際映画祭グランプリを受ける等、海外でも高く評価されました。
 昭和26年(1951)から始まった時代劇「銭形平次 捕物控」はシリーズ化され10年間、17本の作品が製作される当たり役となっています。一方、テレビにおいても昭和39年(1984)にNHK大河ドラマ「赤穂浪士」に大石内蔵助役で主演し人気を博します。
 晩年は糖尿病などに悩まされ、昭和59年に76歳で亡くなります。なお、死後まもなく、役者として初の国民栄誉賞が贈られています。(全体としては3番目)
 長谷川一夫の墓は思いのほか小さく目立ちませんが、これは参拝者が墓石に抱き付いたりするため安全に配慮して子孫の方が建替えの際に小さくしたとの事です。

長谷川一夫墓所の案内碑
長谷川一夫墓所の案内碑。墓は道を挟んで左後

長谷川一夫の墓
長谷川一夫の墓

東京都台東区谷中 谷中霊園 甲9号 2側
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