烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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歌舞伎役者 市川團蔵

 谷中霊園で、歌舞伎役者・市川團蔵の墓を見かけました。六代目から八代目までの墓がありました。
 市川團蔵は初代市川團十郎の門人であった、初代・市川團蔵から続く名跡で屋号は三河屋です。

 六代目 市川團蔵は、四代目市川團蔵の門弟初代市川荒五郎の息子として寛政12年〈1800〉に江戸で生まれます。
 文化2年(1805)市川昭世と名乗って初舞台を踏み、文化10年に七代目市川團十郎の門下に加わり市川三蔵と改名しています。その後、何回か改名を繰り返し天保5年には二代目市川九蔵を襲名しています。
 弘化2年(1845)に五代目市川團蔵が亡くなった後、嘉永5年(1852)に五代目の未亡人の養子となり六代目市川團蔵を襲名します。
 芸風は地味で、それほど人気は無かったと言われますが、初代と二代目團蔵が得意とした演目を「古劇八種」というお家芸にまとめ後世に残しています。

 七代目 市川 團藏は、天保7年(1836)に料理人の息子として江戸生まれています。天保10年 (1839) 二代目市川九蔵(六代目 市川團蔵)の養子となり市川銀蔵を名乗ります。その後、何回か改名し、安政元年 (1854) に三代目市川九蔵を襲名。九代目市川團十郎・五代目尾上菊五郎に匹敵する技量がありながら両優と衝突したため大舞台を勤める機会が与えられませんでしたが、才能を惜しんだ周囲の働きかけで團十郎と和解。明治30年 (1897) に七代目市川團蔵を襲名し、ようやく團十郎や菊五郎とならぶ名優として評されます。その性格のため、周囲との衝突が絶えなかったと言われますが、敵対していた團十郎でさえも團蔵の芸を高く評価していたと言われます。

 八代目市川團蔵は七代目市川團蔵の次男として明治15年(1882)に生まれています。
明治18年(1885)に本名の市川銀蔵の名で初舞台。明治41年(1908)には四代目市川九蔵を襲名します。その後、初代中村吉右衛門一座に加わり活躍し昭和18年(1943)に八代目市川團蔵を襲名します。 昭和41年(1966)に引退し、直後に四国巡礼へ向かいますが、その帰途、小豆島発大阪行きの船上で行方不明となります。理由は不明ですが入水自殺と考えられています。
 現在は八代目の孫が九代目市川團蔵を襲名しておられます。

七代目市川團蔵の墓
中央に七代目、右側が六代目、左側が八代目の墓


東京都台東区谷中 谷中霊園天王寺墓地
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