烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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妙蓮寺

 南品川にある顕本法華宗の妙蓮寺は、総本山妙満寺11世寂光院日遵上人が長享元年(1487)に創建したと伝えられています。境内墓所には著名な人物の墓がありました。

妙蓮寺山門
妙蓮寺山門

 妙蓮寺の墓地の一角に丸橋忠弥の首塚があります。忠弥は江戸時代初期の浪人で、慶安4年(1651)に由井正雪らとともに幕府転覆を図りますが、計画が実行寸前に露見し鈴ケ森で処刑されます。
 妙蓮寺の住職が転がっていた忠弥の首を墓地の一角に埋葬したと伝えられています。
 なお、 忠弥の墓は以前紹介しましたが豊島区高田の金乗院(目白不動)にあります。

丸橋忠弥の首塚
丸橋忠弥の首塚

 薄雲太夫は江戸時代前期の新吉原信濃屋抱えの遊女で、和歌や俳句、書に堪能であり、義侠心に富んでいたと言われています。
 金銀にものいわせる客には目もくれなかったと言われ、仙台藩主第三代伊達綱宗が三千両で身請けしたものの肌を許さず、幽閉の末「一日一本ずつ指を切り落とす」と脅迫されても屈せず殺されてしまったと言われています。
 余談ですが、薄雲太夫を身請けした伊達綱宗は遊興三昧で、同じ様な事件を起こしていて親族の大名達により隠居へと追い込まれています。跡を継いだ息子・綱村はまだ幼かったため藩内で権力争いが起き「伊達騒動」と呼ばれる大事件へと発展していきます。

薄雲太夫の墓
薄雲太夫の墓

 新劇俳優・薄田研二の墓も見かけました。研二は大正14年(1925)に築地小劇場の研究生となり、同劇場分裂後に新築地劇団の結成に参加します。
 同劇団の中核的存在として活躍し、その後も苦楽座、劇団中芸、東京芸術座などの劇団設立に参加。新劇運動の中心的指導者となります。
 後進の指導にあたる一方、戦中・戦後は映画にも多く出演しており、特に東映時代劇で欠かせない悪役俳優として活躍しました。
 昭和47年に73歳で亡くなり妙蓮寺に葬られます。薄田研二の墓は台本の形をしたユニークな墓石です。

薄田研二の墓
薄田研二の墓

 妙蓮寺境内に胸像が建立されています。明治期に国会議員として活躍した高木正年の像だそうです。
 高木正年は東京府議会議員を経て、明治23年(1890)の第一回総選挙で当選し国会議員に転じると、以来、13回当選します。
 明治30年(1897)、40歳の時に緑内障のために失明しますが、その後も国会議員として政治活動を行い、昭和9年(1934)に78歳で亡くなっています。
 妙蓮寺に墓もありますが場所がよくわからなかったため胸像のみの撮影となりました。

高木正年像


品川区南品川1-1-1
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