烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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真乗院 山名宗全の墓

 南禅寺三門の南西に塔頭の真乗院があります。永享8年(1436)に室町時代の守護大名・山名宗全(持豊)が香林宗簡の塔所として開いた寺院です。山名宗全(持豊)も文明5年(1473)に亡くなり、ここに葬られています。
 山名宗全は「応仁の乱」で西軍の総大将を務めた人物です。山名氏は新田氏の流れを汲む一族で室町幕府成立時に因幡、伯耆、丹波、丹後、美作5ケ国守護となっています。その後も更に勢力を延ばし一族で日本全国68州のうち11ケ国の守護領国となったために「六分一殿」あるいは「六分一家衆」と呼ばれるまでに栄華を極めます。
 しかし、1371年(建徳2・応安4)に当主の山名時氏が亡くなると、有力大名の力を削ぐことを画策していた第3代将軍義満は、山名家の家督相続に介入して内紛を誘導。最終的に1391年(元中8・明徳2)に「明徳の乱」と呼ばれる幕府の軍事介入により山名一族の領地は、わずか3ヶ国までに衰退します。
 その後、山名一族は徐々に勢力を回復していき、ようやく7ヶ国を所領。そして、宗全は幕府の要職に就き、応仁の乱では西軍を率いることとなったのです。しかし、泥沼化した戦いで山名氏の勢力は再び衰退し再び隆盛を誇ることはありませんでした。



 



Imag3906

 真乗院の入口に宗全の墓の碑がありましたが、公開はしてなさそうだったので三門のみ撮影しました。




京都市左京区南禅寺福地町86-11



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| 室町時代 | 06:25 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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