烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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吉田神社

 吉田神社は貞観元年(859)に藤原山蔭が一族の氏神として奈良の春日大社四座の神を勧請し創建されます。その後、平安京における藤原氏全体の氏神となります。朝廷の信仰も厚く、正暦2年(991)には二十二社の前身である十九社奉幣に列されました。
 鎌倉時代以降は、卜部氏(吉田家)が神職を代々務めるようになり、室町時代末期に吉田兼倶が吉田神道(唯一神道)を創始すると、その宗家として明治になるまで神道界で大きな権威を誇っています。

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境内

 歴史ある「吉田神社」ですが囲碁史とも関わりが深く、神官である吉田家当主の日記「吉田家日次記」には室町時代の1402~1403年に開催された碁会の記録が記されているそうです。

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拝殿

 吉田神社境内には様々な摂社があります。「菓祖神社」は全国的にも珍しい、お菓子の神様を祀った神社です。
 祭神の「田道間守(たぢまもり)」は、垂仁天皇の命により不老不死の霊菓、「非時香菓(ときじのかぐのみ)」を探して大陸に渡ります。10年の歳月を経て田道間守を持ち帰りますが既に垂仁天皇は亡くなっていました。田道間守は「非時香菓」の半分を皇后に献上し、残りを垂仁天皇の陵に奉じて悲しみの余り亡くなったと伝わっています。
 田道間守の持ち帰った「非時香菓」はその後「田道間花」と呼ばれ、「たちばな」と読み替えられます。そして「橘」と書くようになったそうです。
 古代の菓子は果物であったともいわれ、田道間守が持ち帰った橘(みかん)もお菓子のルーツとなります。
 田道間守は但馬国(現兵庫県豊岡市)の中嶋神社に祀られますが、菓祖神社はここから分霊されたものだそうです。

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菓祖神社

京都府京都市左京区吉田神楽岡町30番地



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