烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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文覚上人屋敷跡

 鎌倉の史跡を紹介してきましたが、資料を整理していたら、紹介していなかった史跡がありましたので今回紹介します。

 鎌倉の滑川に架かる「大御堂橋」の傍らに「文覚上人屋敷跡碑」が建立されています。
 文覚上人は、もとは遠藤盛遠という武士で鳥羽上皇に仕えていました。盛遠は同僚の源渡(みなもとのわたる)の妻・袈裟御前に想いをよせ、源渡を殺そうとして、間違って袈裟御前を殺してしまいます。
盛遠は同僚の源渡(みなもとのわたる)の妻・袈裟御前に想いをよせ、源渡を殺そうとして、間違って袈裟御前を殺してしまいます。
 後悔したた盛遠は出家し文覚と名乗り熊野山などで荒行を行います。文覚上人は、後白河法皇に対し、神護寺再興の訴えを起こしたことで法皇の怒りをかい伊豆に流されます。そこで同じく伊豆に流されていた源頼朝と出会い、平家打倒のために挙兵を促したと言われています。


文覚上人屋敷跡
文覚上人屋敷跡

文覚上人屋敷跡の碑
文覚上人屋敷跡の碑


鎌倉市雪ノ下4-4-32
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| 鎌倉時代 | 07:00 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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