烏鷺光一の「囲碁と歴史」

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

| スポンサー広告 | --:-- | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

筋替橋

 鎌倉の鶴岡八幡宮の北側、横浜国立大学附属小中学校の近くに「筋替橋跡」の碑が建立されています。昔ここを通っていた六浦道(金沢街道)に対し、斜めに橋が架けられていたことから名付けられたとされ、「鎌倉十橋」の一つに数えられています。川は昭和49年の街道拡張工事により暗渠(地下を通る水路)となり橋も現存していませんが、鎌倉幕府の公式記録「吾妻鏡」にもたびたび登場している橋です。

筋替橋跡
筋替橋跡

 鎌倉時代の宝治元年(1247)に執権北条氏と有力御家人三浦氏とが争った内乱「宝治合戦」が勃発します。
 当時、北条氏主導の政治に不満を募らせていた勢力が北条氏に対抗し得る有力御家人・三浦氏を中心に結集し北条方と対立を深めていました。
 双方とも和平の努力をしていましたが、北条方の強硬派である安達泰盛は兵を集め出撃。「筋替橋」の辺りで三浦氏への攻撃をはじめたと言われています。
 「宝治合戦」により三浦氏は滅亡し、北条氏による専制体制はより強化されたと言われています。

筋替橋跡の碑
筋替橋跡の碑


鎌倉市雪ノ下3-3-20付近
スポンサーサイト

| 鎌倉時代 | 07:50 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

COMMENT















非公開コメント

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。