烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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東勝寺橋 青砥藤綱旧蹟

 宝戒寺の南側、鎌倉幕府滅亡の地である東勝寺跡へと向かう途中の滑川に架かる橋を「東勝寺橋」といいます。
 現在の東勝寺橋は、関東大震災の復興事業として大正13年に建造された鉄筋コンクリート製のアーチ橋です。V字型の谷間との微妙なバランスなどその美しい姿は多くの人々に愛され、平成11年(1999)には「かまくら景観百選」に選定されています。

東勝寺橋
東勝寺橋

東勝寺橋
東勝寺橋

 東勝寺橋の橋詰めに青砥藤綱旧蹟の碑が建立されています。青砥藤綱は鎌倉時代後期、執権北条時頼に仕えた武士です。
 北条時頼が鶴岡八幡宮に参拝した日の夜、夢で神のお告げがあったとして、藤綱に官位を授け、御家人の領地訴訟を取り扱う「引付衆」へ抜擢します。しかし、当初、藤綱は「夢により人を取立てるなら、夢により人を処罰することもあり得る。功績の無い自分が取立てられるのはおかしい。」と任命を固辞したと言われています。
 「引付衆」となってからも、北条時頼が訴えられると、多くの役人たちはその権威をはばかって時頼の勝訴としていましたが、藤綱が扱った領地争いでは道理を重んじ、時頼敗訴の裁定を下しています。さらに、時頼を訴えた人物が謝礼にと贈った銭を送り返すなど、その公正・剛直が広く知られ、江戸時代の大岡越前と並び名裁判官として語り継がれています。
 藤綱は、ある日の夜に滑川を通った際、銭10文を落としています。そこで、銭50文で松明を買って落とした10文を探したと言われています。人々は10文を探すのに50文を使うとはと嘲笑います。しかし、藤綱は「10文といえど、天下の貨幣を永久に失うことは損失になる。50文は自分にとっては損になるが、他の人の利益となっていて、合わせて60文が世の中の役に立った。」と答えたといいます。
 藤綱が10文を落としたのが東勝寺橋の辺りであったと言われています。

青砥藤綱旧蹟の碑
青砥藤綱旧蹟の碑

10文を落としたという滑川
10文を落としたという滑川


神奈川県鎌倉市小町三丁目
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