烏鷺光一の「囲碁と歴史」

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

| スポンサー広告 | --:-- | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

土佐坊昌俊邸跡

 小町大路、宝戒寺の近くに源頼朝に仕えた御家人・土佐坊昌俊の屋敷跡があります。
 平氏を滅ぼした源頼朝は鎌倉幕府安泰のため、文治元年(1185)、京にいる対立していた弟・源義経を討伐するべく御家人達を収集しますが、平家滅亡の立役者で武名の高い義経を少人数で襲撃する計画に名乗り出る者はいませんでした。
 そうした中、土佐昌俊だけが手をあげ頼朝を喜ばせます。昌俊は頼朝に下野国にいる年老いた母と、幼い子供の行く末を託し、頼朝は下野国の中泉庄を与えたと言われています。
 昌俊は83騎の軍勢で、京の義経の館を襲撃しますが、返り討ちにあい捕らえられ、六条河原で処刑されます。義経は襲撃翌日に後白河法皇から頼朝追討の宣旨を受け取ると直ちに挙兵の準備を開始しますが、頼朝はただちに義経追討軍を派遣します。
 この事から、昌俊による襲撃は義経暗殺そのものよりも、義経を挑発して頼朝に叛旗を翻す口実を与える事が目的で生きては帰れない事が前提であったと考えられています。

土佐坊昌俊邸跡
土佐坊昌俊邸跡

土佐坊昌俊邸跡の碑
土佐坊昌俊邸跡の碑


神奈川県鎌倉市雪ノ下1-14-23辺り
スポンサーサイト

| 鎌倉時代 | 09:39 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

COMMENT















非公開コメント

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。