烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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宇都宮辻子幕府

 鎌倉市小田町の「カトリック雪ノ下教会」の裏路地にある「宇都宮稲荷神社」に宇都宮辻子幕府跡の碑が建立されています。
 平家を滅ぼした源頼朝は鎌倉に幕府を開き武家による日本の統治を行いますが、当初、幕府(政庁)は頼朝の屋敷である大蔵御所に置かれました。これを「大蔵幕府」といいます。その後、三代将軍実朝が暗殺され頼朝の血筋の後継者がいなくなると源氏の血を引く公家の藤原頼経を四代将軍として迎えることとなります。しかし、頼経は僅か2歳で実際に将軍に就任するのは先の話で、政治は家臣の合議制で行われることになります。
 嘉禄元年(1225)、幕府の中核となっていた北条政子や大江広元が相次いで死去すると、第3代執権・北条泰時は心機一転を図るため、同年に宇都宮辻子への幕府政庁移転を行います。辻子とは大通りを結ぶ小道のことで、宇都宮辻子幕府は若宮大路と、その東側の小町大路の間を東西に結んでいた「宇都宮辻子」に面していたことから、その名があります。
 「宇都宮辻子」の名前の鎌倉幕府の有力御家人・宇都宮氏の屋敷があった事に由来し、宇都宮氏が藤原氏の流れを汲んでいる事から、藤原頼経の屋敷に相応しいとして幕府が移転したと言われていますが、その最大の理由は執権北条氏の屋敷がすぐ近くにあったためと言われています。藤原頼経は「宇都宮辻子幕府」で元服し征夷大将軍に就任しています。
 宇都宮辻子幕府は11年間続き、その後は隣接する「若宮大路幕府」へと引き継がれますが、その間に御成敗式目の制定や鎌倉の都市整備が行われています。

宇都宮辻子幕府跡(宇都宮稲荷神社)
宇都宮辻子幕府跡(宇都宮稲荷神社)

宇都宮辻子幕府跡の碑文
宇都宮辻子幕府跡の碑文

宇都宮稲荷神社 : 神奈川県鎌倉市小町2-15-19
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| 鎌倉時代 | 20:44 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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