烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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妙隆寺 「鍋かむり日親」と丸山定夫

 日蓮上人辻説法跡の近くにある妙隆寺のある場所は、鎌倉幕府の有力御家人・千葉氏の屋敷跡と言われ、一族の千葉胤貞が日英上人を開山として妙隆寺を建立します。
 二代目の日親上人は、宗祖である日蓮上人にならい「立正治国論」により室町幕府六代将軍・足利義則教の悪政を糾弾しますが弾圧されます。
 日親上人は激しい拷問を受けますが自分の信念は曲げず、ついには焼けた鍋を被せられたため「鍋かむり日親」と呼ばれるようになります。
 境内には、「鍋かむり日親上人像」や日親上人の供養塔があり、日親上人が寒中、百日間水行を行ったとされる池も残されています。

妙隆寺山門
妙隆寺山門

鍋かむり日親上人像
鍋かむり日親上人像

日親上人供養塔
日親上人の墓

日親上人、百日水行の池
日親上人、百日水行の池

 妙隆寺の墓所入口付近に大正から昭和にかけて活躍した俳優・丸山定夫の碑があります。
 明治34年に愛媛県で生まれた丸山定夫は、大正13年に東京築地に「築地小劇場」が開設されると一期生メンバーとして参加。その後、新築地劇団創立に加わり個性派俳優として活躍。「新劇の団十郎」と呼ばれるほどの人気者となります。
 丸山は戦時中の昭和20年に暗い世相に活気を取り戻したいと、内閣情報局が奨励する移動慰問劇団「桜隊」を結成しますが 、同年8月6日に巡回公演先の広島で原爆投下に遭遇。原爆症により10日後に亡くなっています。
 その後、埋葬された場所が分からなくなっていましたが妙隆寺で発見され、関係者により顕彰碑が建立されたそうです。

丸山定夫の碑
丸山定夫の碑


神奈川県鎌倉市小町2-17-20
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