烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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妙本寺の史跡

 鎌倉の妙本寺境内には様々な史跡があります。
 妙本寺のある場所は、初代将軍 源頼朝、2代将軍 頼家を支えていた比企一族の党首、比企能員公の屋敷があった場所です。
 比企能員の娘が頼家の側室となり嫡子が生まれると、比企一族と将軍家との関係を恐れた北条家によって、建仁3年9月2日、比企一族は討ち滅ぼされます。本妙寺の祖師堂に向かって右手に比企能員一族を供養する五輪塔があります。
 また、五輪塔の脇にある石塔の一つには「本行院日学聖人」と刻まれていますが。日学聖人は比企能員の末子、比企能本の事であり、日蓮聖人に帰依し、この地を寄進しています。

比企能員一族の墓
比企能員一族の墓

 比企能員の娘讃岐局(若狭局)は、2代将軍頼家の側室となり、嫡子一幡君と姫君竹御所を産みます。一幡君の誕生により、比企一族は勢力を拡大しますが北条一族の策略により一族は攻め滅ぼされます。この時、讃岐局は池に身を投げて亡くなり、一幡君も御所を焼かれ、僅か6歳で亡くなっています。その焼け跡に残った一幡君の小袖を供養するため建てられたのが袖塚です。

一幡之君袖塚
一幡之君袖塚

 境内の比企能員一族の墓の隣りにひと際目立つ五輪塔がありますが、前田利家の側室・千代保の方の供養塔だそうです。千代保の方は加賀前田家三代利常の母親です。

前田利家室塔
前田利家室塔

 2代将軍 源頼家と比企能員の娘 讃岐局との間に生まれた竹御所(源媄子(よしこ))は比企の乱で一族が滅ぼさた後も生き残り、三代将軍・実朝が亡くなると幕府の中で唯一、頼朝の血をひく者として御家人一同の尊敬を集めます。
幕府は政権維持のため、京都から藤原頼経を迎え、4代将軍としますが、竹御所はその奥方となります。しかし、懐妊したものの死産で、本人も32歳で亡くなっています。
 遺言により妙本寺の境内に釈迦堂が建立され、その跡地に現在のお墓が建てられたそうです。

源よし子の墓
竹御所(源媄子)の墓

 祖師堂の左側に「万葉集研究遺跡」の碑が建立されています。
 竹御所の遺言により建立された釈迦堂において鎌倉時代初期に天台宗の学問僧・仙覚が万葉集の研究を行い、読み方が分からなかった詩の解明に取り組んでいます。
 なお、仙覚は比企一族の出身と言われています。

万葉集研究遺跡の碑
万葉集研究遺跡の碑


妙本寺:神奈川県鎌倉市大町1-15-1
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