烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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大阪城と囲碁

 春に大阪城について紹介しましたが、囲碁好きであった豊臣秀吉が建設した大阪城ですから、ここでも様々な碁会が開かれています。
 秀吉は大阪城を訪ねた大名たちと碁を打ったり、算砂ら碁打ちを呼び対局を観戦したといいます。
 秀吉の囲碁に関する記録が初めて登場するのは、元亀元年(1570)、言継卿記(大納言山科言継の日記)で「十二月一日、甲午、天晴る。武衛家へ参る。御留守に聖護院御門主・大覚寺殿など也。その外、細川右馬頭・摂津守・木下藤吉郎など祗候す。御酒これあり。次いで徳雲と藤吉郎の碁これあり」と記されています。
 足利一門の武衛家(斯波氏)の屋敷にて、細川藤孝や木下藤吉郎(秀吉)らが招かれた際、秀吉が徳雲という碁師と対局したという記録です。秀吉の棋力は信長、秀吉、家康に仕えた算砂は、三人とも五子置かせていたそうで、現在のアマ4・5段に相当する事になりますが、出世してから碁を始めた秀吉は実際にはそれ程強くなく、算砂がうまく調整していたのではないかと言われています。
 しかし、秀吉は展覧試合を始め勝者の算砂に録を与えたり、他の大名にも碁を奨めたりと囲碁会に多大なる貢献を行っています。

 秀吉の息子である豊臣秀頼も、大阪城にて度々、碁会を開いています。慶長11年(1606)に行われた碁会について「豊国二位宅の碁会において、本因坊、利玄坊、山内是安、六蔵(一世安井算哲)、春智、其のほかの本因坊弟子碁衆、十三人同道」(梵舜日記)と記録に残されています。また、翌年にも大阪城で算砂と利玄の対局が行われています。
 慶長13年(1608)には大坂城の豊臣秀頼の前で、本因坊算砂が大橋宗桂と将棋対局をしたとの記録があります。なお、この前年に徳川家康の前で行われた対局の棋譜が将棋最古の棋譜と言われています。 算砂は将棋も強く、将棋初代名人大橋宗桂との対局が度々行われます。また、宗桂は囲碁も強く算砂や、その弟子達との囲碁対局の記録も残っています。算砂は合わせて親しかった千利休から茶道を学び、代わりに利休に碁を教えていたという逸話も残されています。


大阪城
大阪城

大阪府大阪市中央区大阪城1-1
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