烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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「宮島談判」の地 大願寺

 厳島神社に隣接する大願寺は創建時期は不詳ですが、古くから厳島神社との関係が深く、神社の造営や修理を行う職人を抱えていました。職人たちは厳島神社だけでなく各地の神社の修理造営にもあたっていたそうです。

大願寺山門
大願寺山門

 本堂にある書院は、幕末の第二次長州征伐の時、勝海舟と長州藩藩士が休戦に向けて会談をした「宮島談判」が行われた場所として知られています。
 第二次長州征伐では幕府軍は長州軍の最新式の火器と奇兵隊など良く訓練された兵士による攻撃により苦戦を強いられ、加えて将軍家茂が大阪で亡くなったため休戦を画策します。徳川慶喜は休戦交渉を勝海舟に託し、勝は単身宮島へ乗り込みます。
 勝は宿に銃弾を撃ち込まれるなど非常に危険な状態でしたが、大願寺にて長州の井上馨らと会談し休戦協定を結ぶことに成功します。
 ところが、勝に交渉を頼んだ徳川慶喜は、その間に朝廷工作をして停戦の勅命を取り付けてしまいます。幕府自ら交渉した休戦では引き分けを意味することになり、幕府の対面を保つために朝廷の命令により引き上げるという体裁を整えるためでした。勝はハシゴをはずされた状態になりますが、反論すれば益々幕府の権威が失墜するとして黙って江戸へ引き上げてしまったそうです。

大願寺本堂
本堂

 「宮島談判」の行われた部屋の前には「勝海舟・木戸孝允会談の部屋」という看板が付けられていますが、実際には木戸孝允はメンバーではなかったそうです。しかし、木戸は長州藩のリーダーであったため、後に幕府代表の勝と対談したのではという話になったみたいです。

桂小五郎、勝海舟会見の間
勝海舟会見の間

大願寺護摩堂
護摩堂

 境内にある「九本松」は、日清戦争への対応のために広島へ滞在していた伊藤博文が,ここを訪れた際に植えたものと伝えられています。

大願寺の九本松
九本松

 境内には、この他に「平重盛公御手植松」と呼ばれる枯れた松があります。平重盛公は平清盛の嫡男で、保元・平治の乱では父を助け活躍。清盛の後継者として期待されていましたが病没しています。松は厳島神社へ参拝時に植えられたものと伝わっています。

平重盛公御手植松
平重盛公御手植松

広島県廿日市市宮島町3
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