烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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鳥取城跡(久松公園)

 昨年、山陰地方を訪れることがあり鳥取県内を取材してまわりましたので紹介させていただきます。



 鳥取市中心部にある鳥取城は因幡を統治した山名氏の出城として、天文14年(1545)に久松山に築城されたと言われています。
  天正9年(1581)に、当時の城主山名豊国は、羽柴秀吉の鳥取城攻めにより、同盟を結んでいた毛利氏に背き織田方へ加わります。しかし、これに納得しない家臣に追放され、代わって城主に毛利方の吉川経家を迎えますが、秀吉の2回目の鳥取城攻めで落城し、経家は自刃します。
   
   関ヶ原の合戦後には、姫路城主池田輝政の弟・池田長吉が城主となり城域を拡張整備します。



 その後、池田輝政が亡くなり跡を継いだ光政が幼少のため姫路を任せられないとの理由で鳥取へ転封となり、さらに寛永9年( 1632)には岡山城の池田光仲が同じ理由で転封となり岡山と鳥取の池田家が入れ替えとなります。以後、鳥取藩は光仲を藩祖とし、明治まで12代続くことになります。

   鳥取城は久松山の山頂と山麓に城域が築かれていましたが山頂にあった天守は元禄5年(1692)に落雷で焼失し、以後再建されませんでした。その為、城の中心は二の丸となり、御三階櫓が天守の代用として鳥取城を象徴する建物となりました。



 明治の廃城令で建物は全て壊され石垣しか残っていませんが、現在30年かけて幕末の状態に建物を復元しようと計画が進行しているそうです。



 



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鳥取城跡



               
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鳥取城跡「久松公園」入口(左)と堀(右)



 



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北ノ御門跡(左)と城内の石垣(右)



                 
                  



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天守の代わりであった三階櫓跡(左)とその上から眺める鳥取市街(右)

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藩主の居城であった二ノ丸跡(左)と頂上の山上丸への入口(右)



 



  鳥取城跡(久松公園) : 鳥取市東町2丁目

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