烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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池田勇人像

 広島城を見学した後、城の東側にある「裏御門跡」を抜けていきました。「裏御門跡」近くの堀沿いに広島県(竹原市)出身の第58~60代内閣総理大臣・池田勇人の像があります。

広島城裏御門
広島城裏御門跡

広島城内濠
広島城内濠

 大蔵官僚出身であった池田勇人は昭和24年(1949)の第24回衆議院議員総選挙に出馬し初当選します。当選後、1年生議員でありながら、吉田茂は周囲の反対を押し切って第3次吉田内閣の大蔵大臣に抜擢。以降、吉田茂の右腕として頭角を現し、外交・安全保障・経済政策に大きく関与していきます。
 大蔵大臣在任中の国会答弁中に「貧乏人は麦を食え」と発言したとしてマスコミに批判されますが、実際には「所得の少ない人は麦を多く食べる、所得の多い人は米を多く食べるといった経済の原則に副って~」と発言したのを吉田内閣に批判的なマスコミが脚色し真意と違う形で記事にして批判したそうです。
 昭和35年(1960)に安保闘争により岸政権が倒れると、池田は自由民主党総裁選挙に立候補して当選、自民党第4代総裁、および第58代内閣総理大臣に就任します。
 総理となった池田は「所得倍増」をスローガンに掲げて経済重視の政策を展開し日本の高度経済成長の進展に大きな役割を果たします。
 政権は盤石で三期4年にも及びましたが、昭和39年(1964)9月9日、喉頭癌の治療のために入院。すでに癌は相当進行していたといわれ東京オリンピック閉会式の翌日10月25日に退陣を表明。一時退院しますが、翌年に再入院し肺炎により亡くなります。享年65歳。

池田勇人像
池田勇人像

池田勇人愛蔵の朝鮮燈籠
銅像脇にある池田勇人愛蔵の朝鮮燈籠

広島県 広島市中区 上八丁堀 6-65
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